ひとえまぶたのままが良い
生まれつきの一重まぶただ。
小学生の頃から、みんなとまぶたの形が違っているという、なんとなくとした認識があった。
中学生になった頃から、二重まぶたのパッチリとした大きな瞳に憧れを抱くようになっていた。
そしてそれは後にコンプレックスになった。
二重まぶたが可愛い、ふたえになりたい。
みんな二重まぶたで可愛いのに、どうして私は二重まぶたじゃないのか?
テレビに映る人気のアイドルはみんな二重まぶたで可愛い可愛いと言われ、
"二重まぶたでパッチリとした目の女の子が可愛い"という概念を植え付けられてきたのだ。
ひとえまぶたは大昔だったらモテてたね〜、なんて言われながら思春期を過ごした。
"ひとえまぶたはモテないし、かわいいとは言われない"、ということを突きつけられていたように感じていた。
事実、テレビや雑誌で持て囃されているモデルや女優、タレント、アイドルはほとんどふたえまぶたではなかろうか。
ふたえまぶたは可愛い概念のマジョリティなのだ。
高校生になる頃にはたまにアイプチを使ってふたえまぶたを作った。
大学生になってからは毎日アイプチをしてメイクをした。
そしてアイプチふたえ詐欺メイクを社会人になっても続けた。かれこれ8年くらいは続けて来ていた。
毎日朝起きて洗顔後すぐに二重まぶたを作るのがルーティン。
彼氏とお泊まりなんてした日には大忙し。
実は一重まぶたでしただなんて知られたくないからアイプチしたまま寝たり、お風呂上がった後もアイプチしたりそれはもう本当に努力した。
今思えばよく頑張ったてたと思う。
そしてアイプチの調子が良い時は一発でうまく作れるのだが、まぶたが腫れたり調子が悪い時はアイプチを使うだけで15分くらいかかるのだ。
うまく作れた日でも5分はかかっていたと思う。
こうしてコンプレックスからくる二重まぶたのために、多くの時間を費やしてきた。
しかし、そんなアイプチの日々を2019年の春頃に、終わらせようと思う日が来た。
個性が活かせる時代とは、最近になってこそよく聞くようになったワードだ。
毎日アイプチめんどくさいな、と思うようになっていた頃、一重まぶたのキレイなモデルさんの画像がツイッターのタイムラインに流れてきた。
塩谷舞さんがツイッター上で、一重まぶたなのに可愛いというのがパワーワード、的な内容をつぶやいているのを見た。
その影響は大きかった。これ完全にすぐに影響受けすぎでしょって思われるでしょうね。
一重まぶたでも良いじゃん、と思えるようになってきたのでした。
むしろなぜ世間の「二重が可愛い」を押し付けられなければならないのか?と、疑問すぎて訳が分からなくなった。
なぜあれほどまでにまぶたの形に躍起になっていたのだろう。
今まで二重まぶたになりたいと思っていたけど、そういう風に思っている間ずっと辛かったのだ。
自分の一重まぶたを肯定したらずっと楽になったし、自分の特徴だと捉えるようになった。
メイクする時間もかなり短縮した事は本当に大きい。
何より、二重まぶたではできないメイクが楽しめる。
一重まぶたは「可愛い」より「美しい」を目指せるのではないか?
モード系が好きなので、むしろモード系に寄せていけるのでは?
などと、一重を活かした自分らしいメイクを研究する方が楽しいということに気づいてからは、アイプチとは決別しました。
アイプチに種類がたくさんあって、二重整形手術のCMをよく目にするという事実から、まぶたの形に満足していない日本人は多いのでは。
二重が可愛いから二重にしよう、的な押し付けはもううんざりなので、
これからは自分の生まれ持った一重まぶたを活かして、自分を満足させてあげる自分を作っていきたいのだ。
二重まぶたをdisっているわけではなく、一重まぶたを認めたいという意図です。
自分の生まれ持ったものを直視するのは辛い時もあるけれど、少し離れて見つめてみると違う見方ができたりする。
人生は捉え方次第でどうにでも変われるなぁ、とまぶたひとつとってみても思えますね。